医療事故報道で持つべき視点|ヒューマンエラーの考え方

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2014年4月18日、国立国際医療研究センター造影剤誤注射で患者さんが亡くなるという医療事故ニュースがありました。

この事件を医療事故のひとつの事例としてとらえたとき、事故の報道から私たちは何を考えなくてはいけないのかということについて、ヒューマンエラーの対策の観点から掘り下げたいと思います。

最初に誤解をさけるために書いておきますが、私は個人を責めるべきでないことを強調したいわけではありません。個人の追及が過熱するあまりに、組織の管理体制への追及がおろそかになる危険を指摘したいのです。


医療事故報道における焦点

今回の報道に限らず、何か事件が起きたときには、報道というものはまずどんな人間がどんなことをしたのかという、個人の背景と個人の行動から始まります。

医療ミスに関してもそれは例外ではありません。 これは情報のスタート地点としてあたりまえのことですし、この事実を正確につたえることは報道機関の義務であることは間違いありません。

報道によって、情報を受け取った側はその個人に興味を持つようになります。そして多くの場合、事件を起こした個人に対する批判的な反響が広まって行くという現象が認められます。

しかし、報道機関がここで再度焦点を絞るべきことの1つに、この病院はそのようなミスが起きないようにどれほど対策できていたのか、というポイントがあります。

個人を批判し、ミスを犯した人間をその組織から排除することに成功することと、次なる事故の発生を防ぐ根本的な解決はまた別の問題だからです。

当直明けや経験の浅い人間がミスを起こしやすい仕事に配置されているとすれば、そこにどのような対策をとっているのか、という点に対してもっと追求する必要があると感じています。

ヒューマンエラーという問題:マーティン・ブロミリー氏の例

今回の事件においても、何年目の研修医であったとか、そのような情報に基づいて、ツイッターなどの媒体では既に、「未熟な医者」だとか「若い医者には気をつけねば」といった意見が多く見られます。

しかし、医療事故の追及するべき本質は、たとえ経験が何年目であろうとも、人間である以上、ミスを犯す危険はあり、それを踏まえた上でミスを制御するシステムは存在していたか、という点にあると思います。

この人間が起こすミス、ヒューマンエラーを考える上で知っていただきたい人物として、イギリスのマーティン・ブロミリー(Martin Bromiley)という方がいます。

この方は旅客機のパイロットであり、医療事故で奥さんを亡くされています。そして、航空業界に存在するエラーマネージメントのシステムと比較して、医療業界ではどのようになっているのかという問題に切り込んだ人物です。

マーティン・ブロミリー氏は、「医療にヒューマンファクターズを取り入れて、医療をより良くしていこう」という提言のもと、クリニカルヒューマンファクターズグループという団体を立ち上げて活動されています。 彼の動画がありましたので貼っておきます。

Just A Routine Operation

動画は英語ですので、内容を簡単に説明します。 彼の奥さんは、耳鼻科で鼻腔の手術を受けることになり、全身麻酔での手術に臨みました。

全身麻酔の手術では、麻酔をかけて自発呼吸がなくなったところで、人工呼吸をするための管を喉に入れるのですが、その際に気管に管を通すことができませんでした。

熟練したスタッフがそろう中、繰り返し気管へ管を通すことがトライされ、その結果、最終的に管を通すことができず、長時間にわたって呼吸ができず、低酸素状態が続いたことになります。

手術は中止となり、彼女は再び意識を取り戻すことなく、二人の子供を残して亡くなったのでした。 関わったすべてのスタッフは、十分な訓練を積んでおり、技術的な能力も十分なはずで、しかも騒ぎの最中に経験を積んだ他の多くスタッフが現場に駆けつけています。

しかし、このような状況であれば、本来のどを切開してその穴から直接呼吸をさせる手段に切り替えるべきであったのに、いずれの医師もそのリーダーシップをとれず、その方法に切り替えるという判断ができなかったのです。

そして後の調査で医療業界のエラーマネージメントの未熟さを知ったマーティン・ブロミリー氏は、前述の活動を開始したのです。 彼は、ヒューマンエラー常に起きると仮定して、その上でそれを防ぐシステムを作ることの重要性を訴えています。


過熱する個人背景の報道で忘れられる問題の本質

マーティン・ブロミリー氏が指摘するように、医療業界におけるエラーマネージメントのシステムは非常に未熟であることは間違いありません。

医療業界においては、まず「ヒューマンエラーは常に起きる」という考え方が広まっていません。 「エラーは犯した個人の未熟さや弱さによるもので、エラーをした個人を除去すれば、患者さんは安全である」と考えられていることを、もっと問題視しなくてはいけません。

これを今後どのように、より良いものに改善していくかというのは、医療業界が抱えている大きな課題です。 医療者側がミスを減らす努力するのは当然として、そしてミスを事前に防ぐシステムを改善していくことも当然として、さらに社会全体にもこの考えが根付いていく必要があると感じます。

医療事故報道におけるヒューマンエラーの扱い

ここで、現在の日本における医療事故の報道というものに再び話を戻します。 報道というものの役割は、本来社会に情報を発信して終わりではなく、社会がより良く成長していくために、社会に所属する個々人に情報を伝えていくものだと思っています。

つまり事故の報道における大切な役割の1つに、事故を起こした組織の現状を広め、再発を予防するために改善を促すよう情報を発信することが期待されます。

組織内における事故において、当初は事件に関わった人間が注目されたとしても、最終的には、その組織内のシステムに不備があったのかどうかを追求しなくてはいけないということです。

しかし、事故に関わった人間の個人的背景というものは、自分の経験との比較やストーリー性などの面から、多くの人にとってわかりやすく受け入れやすい情報です。

そして多くの報道機関は、多くの人に求められる情報を提供することで利益を上げて存続している機関です。

そのために現行の社会では、事故に関わった人間の個人的内容が強調されて、組織の管理体制は重要視されずに報道されることを避けがたい状況にあります。

私たちは何に焦点をあてるべきか

情報を受け取る側として、医療事故報道から何を重要視して考えるべきかという問題は重要です。 繰り返しますが私は、事故を起こした医師の未熟さを報道するべきでないと言っているわけではありません。

私が強調したいのは、なぜヒューマンエラー回避できなかったのか、病院の管理体制はどうなっていたのか、ということに対してしっかりと焦点を当てていただきたいという点です。

それがたとえどんな惨事を招いた事故だとしても、個人のミスの追及だけでは再発は予防できないのです。 そして責任転嫁をするつもりは全くないと断った上で言いますが、これは医療業界に限った話ではありません。

医療事故に限らず最近のニュースであれば、STAP細胞報道や韓国の客船沈没などがありますが、いずれも個人の行為を追及するあまり、追及するべき組織の管理体制への報道がおろそかになる危険性をもつ事件です。

誤解を恐れずに端的にいってしまうと、個人への追及が過熱すると、組織はその個人を排除することでそのまま存続してしまうのです。 これは情報の受け手側にも問題があると感じています。事故を起こした本人のゴシップ的なニュースに対して注目するのではなく、事故が起きた管理体制に興味をもっと持つべきだと感じています。

情報の受け手側が、組織の管理体制についての情報を求めることが大切です。そして報道機関は、その事故を起こした体制にもっとスポットを当て、それによって事故の再発を防ぐようにシステムを成熟させていくことが必要だと思います。

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まとめ

医療事故報道の受け手として、病院の事故発生の予防システムについて視点を向けるということが、医療者に限らず大切なのではと思っています。

そして社会全体が、事故や事件を起こした組織の管理体制、ヒューマンエラーに対するシステムに目を向けることが大切です。

医療機関に関していえば、本当の意味でよい医療機関かどうかというのは、こういった管理体制の評価まで踏み込む必要があるのではと思います。

今後、医療に対する評価を考えるとき、ヒューマンエラー管理システムがどれだけ成熟しているかという視点を持って、考えていただければと思います。